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沿革 初代 八文字屋清右衛門は、元禄年間(1700年ごろ)、屋号を㊇と付し、草木染の材料を販売し始める。 時代は、ちょうど京都で宮崎友禅斎によって手描き友禅の技法が産み出され、流行し始めたころ。 藍、紅花、茶、梅などを、染色に使いやすい形に加工し、販売していた。 例えば藍草の葉を刻んだものを干し、水を加えて衝き固めたものを「藍玉」として取引していた。 ~~大火による全焼 宝永の大火(1708年)、天明の大火(1788年)にて全焼。 元治元年(1864年)7月19日から4日間、蛤御門の変からの大火あり、阿弥陀如来像と、位牌のみ残し全焼。(六代目、あるいは七代目のころ) ~~商売の拡大 九代目 粂蔵は精力的に営業を拡大した。 京都の友禅界の著名な職人、三越や松坂屋、千總への営業を行うとともに、奉公人とともに北陸や東京方面への進出を図った。 大正元年(1912年)、全国特産品博覧会にて「顔彩繪ノ具」一等褒賞を受賞。 このころ、㊇から長谷川繪雅堂に屋号を改める。 ~~戦争の影響 昭和12年(1937年)の日支事変から大東亜戦争に突入。 昭和17年~19年(1942~44年)には、贅沢品禁止令や企業整備令が発令され、京友禅は統制の対象となり、周辺の店も多く休店、あるいは商売替えに追い込まれる中、九代目粂蔵は、商売替えを行わず、統制を免れた顔料の販売にて、細々と店を継続する。 終戦後、倉庫に眠っていた商品の販売をもとに営業を再開した。 ~~終戦後 昭和22年(1947年)、長谷川商店に名称変更。 昭和23年~28年(1948~53年)にかけて、佳代子の兄(十代目)、粂蔵(九代目)、佳代子の夫(十一代目)と続けて不幸があり、佳代子が十二代目を継ぐ。 昭和36年(1961年)、店舗改装。株式会社として登記。 昭和40年代、室町の呉服ブーム到来し、事業拡大。 昭和46年(1971年)、現在の社屋に改築。 昭和60年(1985年)、京の老舗表彰を受彰。 平成3年(1991年)、染色教室を開講。 平成8年(1996年)、明が十三代目を継ぐ。九代目粂蔵が用いた長谷川繪雅堂に名称を戻す。 自社ホームページを開設、海外向けにも通信販売を開始。 令和5年(2023年)、自社ホームページをリニューアル。